断片的な走り書き
この記事は2019.10.15、17:11に更新しました。
更新内容:用語の変更に伴い、記事を推敲しました。
わかっていない人ほど考えるものである。
賢い人間というのは、思考のスイッチを入れたら、あとは思考の流れを眺めているだけである。
わかっていない人というのは、「何がわかっていないのか?」をわかっていないから、いつまでたっても考え続けているのである。
それはもはや考えているのではなく、漠然と悩んでいるだけのことなのである。
泣きたい時は、ただ泣けばいい。
泣いてすっきり。
ただそれだけのことである。
泣くという行為自体は浄化を伴うエネルギー解放であるため、その行為単体で見ると心地良いのである。
しかし、
「なんで私がこんな目に遭(あ)わなきゃならないの!?」
「私がそんなに間違ったことをした!?」
そのような想念の連想に巻き込まれるから、またもや苦しくなるのである。
だから、また泣きたくなるのである。
あなたが真なる自己として目覚めるまでは、このような二次災害に見舞われ続けることとなる。
つまり、
自分で火をつけておいて自分で消す。
そして消えたら、またつける・・・
このように人間は、終日営業のマッチポンプ装置のようなものとして、自らのエネルギーを使い果たし続けている。
※ マッチ:火をつける ポンプ:水で消す
あなたが寝ようとすればするほど眠れなくなる。
あなたが寝ようとするから眠れなくなる。
他力の次元である眠りの世界に、自力の意志や行為を持ち込むことなどできないからである。
あなたが消え去る場所である眠りの世界に、あなたが入って行くことなどできないのである。
ずっとメガネをかけ続けていたら、良くも悪くもメガネをかけていることを忘れてしまう。
この宇宙に深刻な問題なんてものは、これまでに一度も生じたことがない。
それは人の心の中にだけ生み出された想念、つまり幻想にしか過ぎない。
犬は「ワン」
猫は「ニャー」
と言うらしいが、
「ワン」と吠える猫は、今のところは発見されていないというだけの話である。
とてもゆっくりではあるが宇宙は今でも進化し続けている。
ゆえにどんなに正確な過去のデータ(記憶)であれ、それに由来する先入観というものは、少しずつではあるが今現在の実体とはズレが生じてきている。
遠い過去のデータであるなら、なおさらである。
人は想念のフィルターのかかった眼差しによって、不確かなデータ(記憶)ばかりを蓄積し続けてしまう。
つまり、
過去のデータ、すなわち記憶とは不確かなもの、つまり幻想である。
不確かなデータ(記憶)に頼らずとも、目の前のあるがままだけを見ていればそれで済む。
嫌いな人のことを考えていては、大好物の料理さえもまずくなる。
つまり、
あなたがどれだけ美しく素敵な世界に暮らしていたとしても、いつもあなたが悲しい想念に巻き込まれていては、世界の全てが悲しく見えてしまう。
このように、たかが想念が全ての印象を変えてしまう。
つまり想念というものが、あなたの人生を彩ることとなる。
あなたが完全に目覚めるまでは・・・
想念があなたの人生の主人公になっていてはいけない。
あなたの人生なのだから・・・
前世のあなたが馬であろうと、馬の蹄(ひづめ)であろうとも、今のあなたが変わるわけではない。
巷には安物買いの銭失いにしかならないスピリチュアル・ワークばかりが氾濫している。
内なる自己としてのあなたの迷走が止(や)まなければ、「瞑想とは何なのか」もわかるはずがない。
内なる自己としてのあなたの迷走が止(や)んだ時、絶え間なき内なる瞑想が始まる。
猫が寄ってきた時には、優しく撫(な)でてあげなさい。
見ず知らずの宗教家やスピリチュアル教師が近寄って来た時には、財布を固く握りしめておきなさい。
あなたが本当に夢から醒(さ)めた時には、夢から醒(さ)めたという思いすら湧(わ)き起こらない。
木幡等はバカな時もあるが、「私」は決してバカではない。
みなさん、私のことを人間だと思っているから面白い。
あなたが本当は何者であるかということについて、他人に問うてはならない。
なぜなら「あなたは美人だ」とか「あなたは優しい」だとか、肉体/精神の次元に関する答え、すなわち肉体/精神としてのあなたに関するお世辞(笑)しか返ってこないからである。
聖なるリンゴを食べなさい。
しかしその産地や品種のことなどばかり考えながら食べていては、リンゴを味わうことさえできない。
究極的な観点からすれば、宇宙のあらゆる出来事は、その必然性によってただ起こっているだけのことにしか過ぎない。
だから本当は、あなたがすべきことなど何もない。
それでもね・・・
この「それでもね・・・」まで行かなければ、あなたが人間として生を受けたことの本当の意味が見えてこない。
私は、この「それでもね・・・」を大智に由来する大悲と呼びたい。
苦しんでいる人が目の前にいるなら、想念のさざ波すら立たない安全地帯である絶対無から飛び出してでも助けにいきたい。
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